絲山秋子が描く登場人物たちは、内へ内へと向かっている。読んでいる私もいつの間に内へと入っていく。そうであるから絲山秋子の本を手にするのかもしれない。確かに自分が感じた情動や回想のように絲山秋子の小説を連想する。
『袋小路の男』とファンタジー
無職の頃、絲山秋子の本をはじめて読んだ。
無職の私に”袋小路”が、しっくりきたのだろう。
ページをめくると私にもいた初恋の人を思い出す。小中学校と同級生であった人。子どもなのに竹野内豊みたいに出来上がった顔立ちで、無口でクールで足が速かった。
今思えば竹野内豊と彼を勝手に重ねていただけだとわかるのだが、それに気づくには同窓会で十数年ぶりに会った後だった。束の間のファンタジーに浸った後、すべては私の夢想だったと目が覚めた。どうせなら一生会わずに初恋の思い出のままであって欲しかった。
講談社文庫 (2007)
『イッツ・オンリー・トーク』ともがき
無職で彷徨い、付き合っていた人とも別れ、疎外感と孤独感しかない日々を過ごした頃を思い出す。明るく振る舞いながらも、そこから抜け出せない様々なもがきと、誰かに見つけて欲しいという甘えみたいな願望と、現実を受け止めるしかない自分の不器用さ。
文藝春秋 (2006)
『勤労感謝の日』とお見合い
無職の私に働けよと響いてくる勤労感謝の日。
三十過ぎて田舎に戻り、結婚も仕事もしない私はどんなふうに映っていたのだろうか。
想像通りの展開が起こっていく。
母は真剣な面持ちで見合い話を持ち出してきた。
親戚の△さんの知り合いがお見合い結婚の仲介をやっていて、私の話が出たそうだ。会話をした覚えのない△さんが、親戚というだけで慣れ慣れしく説得してきた。
「私もお見合い結婚して、最初は話も合わなかったけど結婚したら慣れていくものよ」と言っていた。母に頼まれたのかは知らないけれど、結婚とはなんぞやとよく喋る人だった。
親戚という手前、母の面子もあるだろうし無下にできないと根負けし、軽い気持ちでお見合いを承諾した。話はトントン拍子に進み、1月2日という慌しい正月、いや暇な正月に決行された。
通路を挟んだ隣の席で母と△さんと仲介のおばさんがなにやら話をしている。何を話していいのやら戸惑う私と見合い相手が向き合っている。何も聞いてこない相手を前に、私は適当な話題を振り、時間が経つことだけを望んでいた。
不憫に思われても仕方がない。嫌なんだもの。お見合いをしてまで結婚したいと思う自分がいないんだもの。相手も同じような気持ちであったのではないかと思う。
親戚の△さんに「そろそろお母さんを安心させてあげないとね」と言われ、結婚したら安心なのか、安心させるために結婚しなくてはならないのか?ぐるぐる頭がまわりながらも、ごめんね、お母さん。と思う。
消沈している私に数週間後、もうお見合いはしないから放っておいて欲しいと言う私を母は放ってくれず、話があると部屋に入り正座する。
うだうだと説得が始まったかと思えば、「あなたのためを思って言っているんじゃない!」と言われ、私の心はブチリと切れた。
「私のためなんかじゃなくて、お母さんのためでしょ!」
その後一ヶ月は母と口を利かなかった。
文藝春秋 (2009)
絲山秋子の読後感
絲山秋子の小説はハッピーモードな時に読む本ではない。逆に言えば静かにもがいている時に読むとこの上なく寄り添ってくれる。上記は読後の私の回想であって小説の内容ではない。しかしながら、絲山秋子の小説の読後感は私の記憶の断片と繋がっているようなのだ。
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