あやちゃんへ Returned mail. User Unknown.

贈り物のコランダー

小学校の時に同じクラスで仲良しになったあやちゃん。毎年お互いの家で大好きな友達たちを呼んでお誕生日会を開いた。母の作るたくさんのご馳走と、プレゼントを開けた時の友達の反応を見ることが好きだった。

揺れるような長いまつ毛と大きな目、猫っ毛のおかっぱが似合ってて、勉強も運動もできたあやちゃん。いつしか交換日記をするようになって、ノート5冊はいってたかな。その日記はもう見つからない。でも覚えているよ、お互いの好きな人の話がメインだったね。今日は〇〇くんと目が何回あったとか、両思いかな?片想いかな?とか、バレンタインデーはどんなチョコレートを渡そうかとか、はじめてのどきどきした感情を綴った交換日記だった。

そのうち書くことに飽きたのか面倒臭くなったのかさらっと終わっちゃったね。今でも覚えている私の迷言日記、カマキリは交尾をしたあとにオスを食べちゃうんだって。っと書いた次の日のあやちゃんの日記に、「独特な感性が私にはよくわかりません」みたいな返答が書いてあって、自分はズレているのかも…と初めて感じた記憶がある。確かにそうだよね。何が言いたかったのかはもはや私もわからないけど、推し量るとするならば好きな人と結ばれるにはそのくらいの覚悟が必要なのかもよ?みたいな?こんな唐突すぎる私の日記につきあってくれてありがとう。


中学校はクラスが別になったけれど、バレー部に一緒に入った。あやちゃんはセッターで、私はアタッカーだった。昼休みも体育館でラリーしたり、校庭ランニング、雑巾掛け、腕立て伏せ、手押し車、階段ダッシュ…今思えばスパルタ特訓によくもまあ耐えながらやっていた。そんな”アタックNo. 1”みたいな世界であやちゃんはいつも先にゴールしていた。あやちゃんを追う私は今でもあやちゃんの細くて締まったふくらはぎの形や、猫みたいに伸縮する背筋をはっきりと思い出せるほど、後ろから眺めていたことを思い出す。バレーボール全日本女子のキューバ戦を一緒に観に行ったり、地域の大会でお互いのミスを励ましあったり、笑顔でハイタッチしたり、涙したり。私の中学の思い出はあやちゃんといたバレー部が大半を占めている。

その当時、あやちゃんは福山雅治が大好きだった。熱のこもった福山話は、初恋話の交換日記のようで楽しかった。その頃、誕生日プレゼントでもらったレトロなコランダー。これを選ぶセンスが素敵だと思った。大切に使っている。


高校ではクラスが遠く離れてしまって一緒にいる時間は急激に減った。部活もお互いバレー部には所属しなかったし(中学の時が辛過ぎたもんね。)高校生にもなるとみんな自分のことでいっぱいいっぱいだった。いつの間に廊下ですれ違うわずかな機会だけが、あやちゃんと話すことのできる時間になっていた。進路どうするの?何も決めていない私に看護士という立派な選択をするあやちゃんはやっぱり凄いな、と映った。

卒業後、お互い地元を離れて東京の学校に進学した。当時携帯電話はさほど普及していないせいか余計疎遠になった。


私は大学卒業後、吉祥寺の街に住み着いて右往左往の人生を送っていた。
中道通りをとぼとぼ歩きながら自宅アパートに帰る日々が続いていた。

そんな繰り返しの毎日を過ごしていた時、休日の昼間の中道通りであやちゃんにばったり逢った。
私たちは大興奮で、人目も気にせず道端ではしゃいでいた。あやちゃんは近くの病院に勤めていたらしいが、結婚して仕事を辞めたばかりだと言っていた。アドレス交換して、後日喫茶店で長々おしゃべりして、また会おうね、と言って、それから会っていない。
大人になるとこんなものだと思いながら、ベタベタしない関係が私には心地よかった。


それから数年後、私は地元の新潟に戻って生活している。時が経つのは随分早いもので、すべてがリセットしたような感覚になると同時に昔の記憶が蘇ってきたりもする。十数年ぶりに開催された同窓会にあやちゃんの姿はなかった。

それから数年後、あやちゃんが亡くなったことを知った。癌だったらしい。

いつでも会えると勝手に思っていた。

携帯にはあやちゃんの連絡先が今も入っている。
Returned mail.  User Unknown.

忘れたくないから、思い出を綴る。




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