ようやく克服できたような感覚がある。見たくなかったものをどうしても見たくなった。
二十数年前、新潟の田舎町からレディオヘッドの来日公演に一人きりで向かった。渋谷公会堂までの道のり、行ってみたいと思っていたPARCOブックセンターLIBROに立ち寄る。田舎には洋書店などない。
目に止まったのは、ヘルンヴァインだった。
「HELNWEIN」
読めなかった。
だが、その画はただただ凄かった。
Gottfried Helnwein
ゴットフリート・ヘルンヴァイン
残忍な姿の少女
リアルな描写
拷問のような金具
静かに垂れる血
私は、釘付けになった。
買うのを迷ったが、頭から離れなくなってレジに向かった。タッシェンの2,000円ほどの薄い画集だった。
でも、見れば見るほど、所有していることが怖くなってきた。視界に入れたくない。
だから、押し入れの奥にずっとしまっておいた。今はどこにいってしまったのかわからない。
ただ、私の頭の中からは、決して消えることはなかった。
つまらない現実を味わって大人になったと思い込み、漠然と時間が過ぎてきた。忘れた頃にヘルンヴァインの作品が見たくなる。もう一度、目にすればあの時の感覚が蘇る。
体温を感じない画面と見えない目
叫んでいるけど聞こえない声
流れている血は一体なんなのか
なぜ、こんなに突き刺さるのか
今はヘルンヴァインがわかる。それが現実に存在していたからだ。
見たくないものは見ない。
見て見ぬ振りをする。
そんな世界が溢れている。
『ヘルンヴァイン展』開催して欲しい。
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