4月11日(月)
父親が倒れた。
昼過ぎ、14時頃。
桜が満開で、初夏みたいに暑い午後。
会社を早退し、今、病院の待合室で待っている。
救急搬送され、父親は生きるか死ぬかの狭間の中で、今、戦っている。
お父さん、持ち前の頑固さ、神経質すぎるしつこさで、またうるさく怒鳴ってみてください。
気にくわないことがあれば、すぐキレていたじゃないですか。
お父さん、近頃は顔を見るのすらイヤでした。
1年半前の出来事から会話してないね。
最近はテレビを見ても笑わなくなってたね。
お父さん、死んでしまうのですか。
死ぬ前に、話しておきたいこと、いっぱいあるんじゃないですか?
お父さん、お父さんは私に謝ったことがなかったね。
私はお父さんの優しい言葉をずっと待っているんだよ。
優しくなって欲しかった。
いつも突然キレて、必要以上に暴言吐いて、今日もまた突然倒れて。
8年前、救急ヘリで運ばれた。
いつか、また、こんな日が来ると思っていたよ。
4月12日(火)
午後10時過ぎ、医師から一連の説明、医療行為の同意の選択、等、いろいろ話を聞いた。
とりあえず待つしかない状況。
帰宅しようと駐車場に向かえば、すぐさま目の前の病院から電話あり。
状態が思わしくなく戻ってきて欲しい、と。
ああ、やはり、そんなに急変する状態なのか。
父のもとへ急ぐ。
壊死した血管とコブ状になった心臓と、ところどころ詰まった血管、糖尿病、高血圧、動脈硬化、高コレストロール、ほぼすべての疾病を網羅し患っている父。
でも、いつも通り雪かきしていた冬。
田植えが迫ってきた春。
薪割りをしていた初夏。
今日は病院に泊まる。
コロナ禍で規制があるにもかかわらず、寛容な対応に感謝。
今晩が峠。
緊張状態から解放されず、一睡もできなかった。
本当に寝れなかった。
翌朝の父の顔。
口の周りは血液がついているが、すやすやと寝ている。
父は生きている。
安心した。
でも、回復はしない。
手の施しようがないそうだ。
延命措置は行わないことを選択した。
ボロボロの心臓で生きていたことが奇跡かもしれない。
すごい生命力。
思えば、この8年間が父といる共同生活の中で、
一番、家族らしかったように思う。
最後は口を聞くことも、目を合わせることもない状態だったが、
それでも、楽しかった日の思い出があふれてくる。
嫌なこと、ムカつくこと、傷ついたことが大半だったのに。
昼前、家に帰ってきた。
容体が悪化した時、病院から電話が来る。
すぐにでも電話がなりそうで、まだ緊張から解放されない。
父のいた家に入ると、その部屋をながめ、父の残像がうつる。
その辺を、台所を、トイレへの廊下、軽トラックのエンジン音、運転する姿。
目にやきついている。その笑顔も、怒った顔も、嬉しい時の声も、怒鳴った時の声も。
嗚咽。
電話はならない。
何もする気にならない。
少し寝ようかと、布団に入っても、寝れない。
夜、電話はならない、いい加減、寝なくては。
夜間に電話がなりませんように。おやすみなさい、お父さん。
4月13日(水)
寝れた。多少スッキリした。
今日も初夏のように暑い春。
桜は満開。
電話はならない。
父は、今、生きている。同じ時間を私も、今、生きている。
もしかしてこの状態がしばらく続くのかもしれない。
母はお葬式の段取りや、相続関係のこととか、父の服や周辺の掃除を始めている。
気晴らしではないが、タイヤ交換をしなくては。
弟と一緒に、父の軽トラのタイヤ交換をした。
私にタイヤ交換のやり方を教えてくれた父。
今では一人でできるようになったけど、いつも手伝ってくれた父のことを思い出す。
電話はならない。
おやすみなさい、お父さん。
4月14日(木)
相談があると病院から電話あり。
相談?
ということは、その日でないことを意味する。
昨日と違って、肌寒い曇り空。時々あたる雨。
母と弟を乗せて1時間半後、病院に着く。
前回よりも可愛らしく眠っている父。
むくみがとれ、顔色は黄色っぽいが、生きている。嬉しい。
にもかかわらず、家に帰ってから、母と討論。
あの日から興奮、パニック状態の母は、朝からずっと喋りまくっている。
前日、連絡が取れなかった厄介者の姉と警察を通して安否確認できた。
いつもどおり、過剰反応、興奮状態の姉。
ただでさえ、精神的に寂しい心持ちの中、平常心を保つことは難しく、そんな中、平常心を保てない母と姉に関わることは、私にとって、ものすごくストレスである。頭が本当に痛い。
まあ、平常時ではないから理解はできるけど。
お父さん、あなたが母にキレる言動、行動を数えきれないほど見てきて、私は「父が異常」と思ってきたけれど、私も同じ様に、母に対してキレてしまったよ。
お父さん、お父さんがいなくなったこの家は、お父さんが望むようにはなりません。
勝手気ままな感情だけが支配しそうです。
しかし、わかりません。どうでもよくなってきました。
お父さんは、私のことをどう思っていたのでしょうか。
たいして思ってなかったように、今でも思います。
4月15日(金)
本来ならば、出勤日だが、
昨日のことで頭が痛く、休んだ。
気分転換にゴルフの練習をしようと思っていたのだが、しとしとと降る春の雨は寒くて、暗くて、ずっと部屋の中にいる。
17時過ぎ、今日は病院から電話が来ないだろうと思い込み、ビールを飲む。
久しぶりなのに、美味しくない。でも、いろいろどうでもよくあって欲しいと思い、飲む。
アル中だった父と同様、お酒で現実逃避したい。
私も突然倒れ、死ぬほど痛いのだろうけど、そのまま意識を失って死んでいきたい。
軽々しく死にたいなんて言うもんじゃないのだろうけど、
すやすやと優しい顔で眠っている父を見ると羨ましくも思う。
こんな安らかな日常をずっと送りたかった。
明日は会社に行こう。
会いに行こうかな、お父さん。
母宛に病院から電話が来た。
選択した通り、人口呼吸器を外した。
看護師の方が話しかけたら、自分の名前を言ったそうだ。
ミラクルだ。
お父さんってすごい。
生きたい。生きたいんだね。
お父さん、そのパワーに圧倒され、嬉しくて涙が出ました。
寝たきりでもいいから、存在していて欲しい。
明日、会いに行くよ。
一緒に住んでいるのに、久しぶりに話ができるのかな。
楽しみになってきたよ。
4月16日(土)
曇り、時々雨。肌寒い。
今朝、出勤前に入院で必要な日用品を届けに行った。
父に会えた。
目が開いて、しゃべることができる父に。
不仲となっていた父と会話ができる。
「わりっけな」
虫のようにか細く、弱々しい声で、振り絞って出てきた父の言葉。
とたんに涙が溢れ出た。
わだかまりが一瞬で溶けた。
「喧嘩ばっかりでわりっけな」
「喧嘩はよくないよ」
「仲良しがいいよ」
そんなセリフを聞くとは思ってもみなかった。
父と母の絶えない言い争いを私はずっと耳にし、そして避けてきた。
私が物申す隙など一切できない、したくない、わだかまった日常が
嘘のように、晴れてきた。
怒鳴り散らす大声、恫喝はもうない。
「私も、仲良しでいたかったよ」
「これからは仲良しでいようね」
そんな私の言葉に、「うん、うん」と、叶わなかった過去の日々の、蓄積したやりきれなかった思いが、涙とともに溢れ出た。
父は伝えたいことをひとつひとつ話し始め、次から次へ止まらないほど必死にしゃべった。
「お母さんを頼んだよ」
頼み事やお願い事、指図ばかり聞かされていた。
私のお願いなんて本気で聞いてくれてなかった。
でも、いいよ。
今までの嫌なことすべて、どうでもよくなった。
みんな誰かに甘えたいんだよね。
どんな形であれ、甘えがあるから喧嘩が起こって、
甘えがあるから許せない。
でも、結局のところ、甘えたい。
甘える人がいなくなると、寂しいよ。
今日の父は、いつになく優しくてかわいい。
満月の夜、帰宅中の車の中で、父との会話を振り返る。
父に「私に何か言いたいことはないの?」と聞けば、
「ないなぁ、頑張ってください、以上。」
簡潔明瞭な返答が、面白かった。
4月17日(日)
桜が散ってきている。
でも満開の桜もある。
今日は朝から青空だった。青空に励まされる。
終わりのはじまり。
最近、この言葉が心に響いてくる。
病院から電話はない。
お父さん、今日はどんな一日でしたか。
明日は私の誕生日ですよ。
覚えていますか?私が生まれた日のことを。
人は生まれて、生きて、死んで、それだけなのかもしれない。
春夏秋冬、繰り返し。
積み重なって蓄積されていくけれど、
また、桜が見たい、見れたな、と思うだけかもしれない。
延々と繰り返し、繋いでいき、
その時々で、さまざまなドラマが生まれるだろうけど、
そのドラマの中にいること自体が、生きているということなのか。
不思議な世界だな。
4月18日(月)
私の誕生日。電話はならない。
このまま、この状態であって欲しい。
4月19日(火)
母と相続の話。
母の本音がみえた。
結婚していないと、何かと不便だ。
4月20日(水)
午前中、病院から電話あり。
意識が戻った父と会うことができなかった母が、あの日以来会えたらしい。
帰宅後の母の目は腫れていた。
父の第一声は「やぁ!」だったらしい。
可愛らしい。
この状態が永遠に続いて欲しい。
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