■先日の記事>>>「映画『ツィゴイネルワイゼン』と内田百閒、亀鳴くや」
青木繁の『海の幸』を思い起こさせる構図として映ったシーンから、私の思考は青木繁へシフトしていた。
映画『ツィゴイネルワイゼン』の海辺のシーン
見比べるまでもなく、、、構図は『海の幸』
憶測だが鈴木清順監督は『海の幸』が撮りたかったんだと勝手に思う。浪漫主義を代表する傑作になぞらえて、『ツィゴイネルワイゼン』もまた浪漫三部作の傑作となる。
青木繁『海の幸』未完成の完成
教科書にも載っているこの有名な重要文化財作品を自分の目で実際に見たのは随分前である。当時は「ブリヂストン美術館」だったが、現在はリニューアルして「アーティゾン美術館」となっている。
その時の印象は今も覚えているけれど、意外と小さい作品なのね、だった。
「70.2㎝×182.0㎝」
事前にサイズを知らない私は、描かれる人物たちが実寸程であると勝手に思い込んでいた。でも、それほどに力強い迫力ある画面であった。実際の作品は、高さ70㎝の画面に10人の裸体と3尾の鮫が描かれている。
引用元:公益財団法人石橋財団 アーティゾン美術館
青木繁
1882年、福岡県久留米市生まれ、1911年没。明治時代を代表する洋画家。1903年、美術学校在学中に神話に取材した作品群でデビュー。翌夏、青木は、友人の坂本繁二郎、森田恒友、恋人の福田たねと房州の漁村(現千葉県館山市)に滞在し、友人たちの目にした大漁陸揚げの話に想像力をかき立てられ大作《海の幸》を制作。この作品はすぐれた構想力と大胆な表現法によって注目され、完成か未完成かの議論を呼ぶなど大きな反響を呼んだ。
この「完成か未完成」か、いや「未完成の完成」か。
これ以上に描きたくなる前に筆を止める勇気、が天才と思う。何もないキャンバスに自分が思い描くものを描こうとする、その勢いが出てくるのは描き始め序盤であるが、その自分の思考や筆を詰める前で止めることで当初の高揚感ないし青木が見た臨場感が現れる。それは想像以上に大きい画面となって迫ってくる。
そして、私と目の合う中央の女性。彼女は青木の恋人、青木が見る、彼女も青木を見ている。私が見る、私を見ている、恋人と青木と私が不思議と入り混じってくる。目が合う凄みが宿っている。
同じような視点で『ツィゴイネルワイゼン』では、男女の交錯が描かれているように思う。
青木繁と芥川龍之介
これは私が短命の天才を礼讃しているのではない。ただ、なぜ共通して短命なのだろう。いや、私が勝手に結びつけているのだろう。しかしながら、彼もまた放浪する生涯であった。
青木繁 28歳で夭折
芥川龍之介 35歳で自殺
二人には共通する精神があるよう思えてならない。でなければ『ツィゴイネルワイゼン』は成り立たない。
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