先日、買ったばかりのネイビーのセーターを着て出勤。
昼過ぎ、肌寒いので腕をさすったところ違和感が。
はい、穴が空いていました。
3ミリほどですが、インナーが白なので目立ちます。
そして、わたしは『ピアノレッスン』(1983年製作)の、あのシーンを思い出します。
『ピアノレッスン』のふたりと、タイツの穴
口の聞けないエイダ(ホリー・ハンター)、彼女に興味を持つベインズ(ハーヴェイ・カイテル)がわずかに空いているエイダの穴をめざとく見つける。その先の白い肌を覗く視線。このシーンが強烈に頭に残っている。
当時高校生のわたしに、情動的な男女を目の当たりにしてしまった感覚だった。
マイケル・ナイマンの音楽も心に刺さった。
わたしの「穴」
タイツやセーターに「穴」を見つけると、わたしの「穴」が現れる。
この「穴」埋めることはできても、本当のところ埋まっていないのかもしれない。
「穴」で連想する『ピアノレッスン』とは、なんともアンロマンな自分。
いや、かなりロマンチックなのかもしれないよ。
監督は女性だった。
ああ、だからなのかもしれない。
既にわたしも主人公エイダと近い年齢。(過ぎてるかも…)
エイダにとって言葉である、かけがえのないピアノ。
どういったいきさつで結婚したのかは不明だが、締め付ける衣服が従う女性として映る。
もうひとりの自分のような存在の娘。
夫の存在の薄さが目立つ。
「自分」という存在の不明。
彼女の心にぽつんと「穴」が空いていて、それを埋めるかのように存在していくベインズ。
指をなくしても、ピアノをなくしても、頭の中ではピアノが鳴っている。
空いた「穴」をそのままにするのか、埋めるのか、繕うのか、決めるのは自分。
さて、わたしのセーターどうしましょう。
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